奈良県 伊勢街道と街並みー吉野ー

三茶屋

久須斯神社前の道標
(久須斯神社前の道標)

ここは伊勢の山田と紀州和歌山のちょうど中間にあり、それぞれ二十ニ里の地点にあります。上茶屋・中茶屋・中やの三軒の茶屋があったことから三茶屋の名前が付いたとされます。上茶屋は現在中谷呉服店のある所、又中茶屋は現在の中谷又左衛門氏宅です。ここ一帯は、塩屋・木屋・扇屋・樽屋などの屋号を持つ家が50戸の内18戸もあり、当時の繁栄を伺うことが出来ます。


三茶屋の道標
(三茶屋の道標)

 

三茶屋の神社(久須斯神社)の下に移された石の道標には、「東右うたはせ道 左大峰山道 南右いせ道 北右よしのこうやみち」と彫られています。紀州往来時三茶屋で中食し、その時三茶屋の若い衆は高見峠まで送って行ったといいます。その当時の若者にとって駕籠を担ぐことがなによりの名誉であり、自慢すべきことであったようです。現在は吉野川沿いを走る国道169号線が幹線ですが、当時はこの道が紀州徳川侯参勤交代の道であり、伊勢の参拝者もこの道を通ったのでした。

香束

香束の道しるべ
(香束の道標)

伊勢街道を三茶屋から逆に戻ると、柳という在所に着きます。ここ柳も旅人宿や料理屋もたくさんあり賑わっていました。特に「きや」という商人宿はよくはやっており、昭和初期まで営業していたといいます。 この道を更に下ると香束(こうそく)という在所になります。この地名は本来「きょうつか」(経塚)と読むべきで、龍門寺関係の経塚ともされています。ここ香束には油屋の辻があり、紀州侯小休みの場所であったといわれています。この辻には左のような道標が置かれていて、往時の面影を残しています。

吉野山口神社

徳川吉宗寄進の石灯籠
 (徳川吉宗寄進の石灯籠)

山口神社の祭神は、大山祇命で本来は山の神ですが、農耕に必須の水源の神としても祀られました。創祀は不明ですが、龍門岳の神霊をまつる祭祀場として出発したものと見られています。


 

境内社の意賀美神社は、もと龍門滝の付近にあって岳の水神(竜王神)として信仰されてきました。この滝について本居宣長の『菅笠日記』には、「いとあやしきたきにて、日のいみじうてるをり、雨をこふわざするに、かならずしるしあって、むなぎ(うなぎ)ののぼれば、やがて雨はふるなりとぞ」とあります。


 当社横には伊勢街道が通っています。当時は伊勢参りや参勤交代で賑わい、境内には享保元年に徳川吉宗より寄進された灯籠が今も建っています。


平尾

旧代官所近くの幸神神社
(旧代官所近くの幸神神社)

伊勢街道沿いに発展したのがここ平尾の在所です。又、吉野町最古の貞享5年の道標が残るように、ここは高見越え伊勢街道と多武峰・奈良盆地への街道の分岐点に位置したため、宿屋もたくさんあり栄えていました。
旧代官所近くの幸神神社
(平尾の道標)

 又ここは江戸時代、過酷な年貢を徴収しようとする封建権力に対して、農民が一致団結して代官所を襲撃するという一揆「龍門騒動」のあった所でもあります。文政元年、中坊領内14ケ村の農民が当地の代官所を襲撃、出役浜島市太夫を殺害するという事件が起きました。一揆は一日で終りましたが、その直後から過酷な弾圧がはじまり、取調べられた者千人、死罪4人、二十四ケ国払い4人、牢死した者が4人という悲しい結末を迎えたのでした。

大名持神社

大名持神社
(大名持神社)

大名持神社は龍門川と津風呂川が吉野川に注ぐ中間地帯の妹山にあります。当神社の創祀は明らかではありませんが、背後の妹山を神体と仰いだ民俗的原始信仰に由来することは、この山が「忌山」とも呼ばれて樹叢へ斧を入れない禁忌的信仰が、現代になお生き続けている点からも伺えます。

 この神社は、すでに『三代実録』に「貞観元年(859)、大和国従一位大己貴社に正一位を授く」とあり、この段階で正一位の極位を授けられたのは、大和国では他に春日大社のみでした。

 この神社の西側の麓に、(上の写真の)自然石に彫った道標があります。

 又妹山と吉野川を挟んだ対岸にある背山は、日本の「ロミオとジュリエット」ともいうべき「妹背山婦女庭訓」の舞台でもあります。吉野川に阻まれた悲恋のイメージも、このコースの楽しみかもしれません。


街並み
本善寺の門前町・又市場町として始まった上市は、江戸時代に入り伊勢へ通じる伊勢街道沿いの町として栄え、
現在も往時を偲ばせる商家や民家が残っています。その一部を紹介しましょう。
沢井家
(沢井家)

煙抜きのある沢井家は、江戸時代そのままの赴きで、時代劇の撮影にもつかわれたこともあります。 「まちかどギャラリー」では、この中で吉野塗展や伊勢街道の町並みを描いた「水墨画展」や吉野の歴史上の人物の「土鈴展」を行いました。

 

この坂を登り、途中を左に折れる道が、今も伊勢街道の名残を残しており、その角にあるのが、昔旅籠だった角屋です。ここは伊勢に行く客や、千股から大峰や春の吉野山へ行く客で賑わったといいます。

浜田畳店
(浜田畳店)

この向いにあるのが、創業三百有余年の畳屋さんの浜田畳店です。ここには、格式のある神社で使われる「御神座」や、天皇他高貴な方が座る「王座」。又六角畳や巨大な丸い畳等の有職畳を展示してある「畳ミュージアム」がいつもオープンしています。

角屋
(角屋)

角屋の道を更に西に進むと、元両替商だった横谷や、古い佇まいの谷川家。又江戸時代の建物で営業している本迫書店があります。ここから役場に下る路地も味わい深く、マンリン小路を思わせます。又更に西に進むと、連格子の家並みが広がります。この上市の町並みについては、文豪谷崎潤一郎の「吉野葛」にもこのように描かれています。
「・・・われわれは、午少し過ぎに上市の町に入った。街道に並ぶ人家の様子は、あの橋の上から想像した通り、いかにも素朴で古風である。所々、川べりの方の家並みが欠けて片側町になっているけれど、大部分は水の眺めを塞いで、黒い煤けた格子造りの、天井裏のような低い2階のある家が両側に詰まっている。歩きながら薄暗い格子口に、屋号や姓名を白く染め抜いた紺の暖簾を吊っているのが多い。店家ばかりでなく、しもうたやでもそうするのが普通であるらしい。いずれも表の構えは押し潰したように軒が垂れ、間口が狭いが、暖簾の向こうに中庭の樹立ちがちらついて、離れ家などのあるのも見える。恐らくこの辺りは、五十年以上、中には百年二百年もたっているのがあろう。・・・」と記されています。

谷川家
  (谷川家)

連格子の家並み
(連格子の家並み)

北村肥料店
(北村肥料店)

北村酒造
(北村酒造)

三奇楼
(三奇楼)

次に役場のある通りです。この通りは北村酒造の社長によると、日露戦争の際に大砲を移動させる為に作られたという道です。ここにも赴きのある店があります。公民館の前にあるのが白壁が美しい北村肥料店。ここは土間も広く、「まちかどギャラリー」にも使わせて戴きました。

 天明時代からの造り酒屋の北村酒造の建物も、この通りに彩りを与えています。

 又商売の神様である戎神社の下の通りも赴きがあります。ここでは、昔の料亭であった「三奇楼」。ここのなまこ壁の和風と、洋風の石づくりの門のバランスはなんとも言えず粋さを感じさせます。

 次に柿の葉寿しの老舗「平宗本家」。ここでも「まちかどギャラリー」では、昔の道具やパネルを展示していただきました。ここにある木造りショーウィンドウが実に赴きがあります。

 更に西進すると、左に立派なお屋敷が現れます。ここは日本の山林王「北村又左衛門」氏の屋敷です。又左衛門は北村林業の重厚な建物で、ここを歩くと、まるで江戸時代の町に迷いこんだような錯覚を覚え、歩いて戴けます。

 このように、上市の町を歩くと、所々で伊勢街道の名残りが見うけられます。どうかゆっくりと歩いて見てください。

  平宗本家
(平宗本家)

北村家
(北村家)


                        資料提供:吉野町商工会

edit