さくらと日本人
春を告げ生命の躍動感を感じさせる桜の花も、昔は様ようなイメージでとらわれています。桜は10日間程で、その役目を終えたかのようにぱっと散ります。
それが清く感じられ、そのイメージが封建時代の武士や、軍国の花、靖国の花に利用されたこともありました。また人をひきつけるような魅力を、この世のものでない力と表現される場合もあります。
日本人と桜
文献の中で最初に桜が登場するのが「古事記」で木花之佐久夜比売が桜の精として登場します。次に「日本書紀」の「履中記」の中でこのような話がでてきます。「帝は池に浮かべた船で酒を飲もうとしたいた処、ひとひらの桜の花びらが盃の中に落ちてきた。帝は家臣に「この花びらはどこから来たのか探してくれ」と指示します。
家臣は腋上室山に咲く桜の一枝を採って帝に献上したところ、帝は大いに喜び、磐余市磯宮を磐余雅桜宮と改め、家臣の姓を雅桜部造と改めさせた。 時に履中三年(402)のこと
又嵯峨天皇は812年神泉苑で観桜の花宴を催し、その子仁明天皇は紫宸殿の梅樹を桜樹に替えさせ、これが右近桜の始まりと言われます
又物語や日記では寝覚物語・落窪物語・源氏物語・平家物語・枕草紙今昔物語・徒然草・太平記・土佐日記・更級日記に見られます。
また謡曲の「西行桜」 「花がたみ」 や文楽「義経千本桜」 のなかにも日本人の桜への想いが表現されています。
昭和に入ってからは、三次達治・梶井基次郎が桜を題材にした物語を発表し、戦後の混乱期には坂口安吾が桜文学の代表作「桜の森の満開の下」を発表します。小林秀雄・五味庚祐そして水上勉の「桜守」薄墨桜をメジャーな表舞台に押し上げた宇野千代の「薄墨の桜」。
最近では、渡辺淳一が桜前線とともに日本の桜を見ようとする主人公を描いた「桜の樹の下」を描いています。このように、古代より現在まで描くイメージは多少違う物の、日本人と桜の結びつきは、強い物があります。